終戦のローレライ。
本日はちと本のお話しでも。
ようやく読み終えました、「終戦のローレライ」。
多分にSF的なお話しですな。
映画監督に、映画化を前提として「太平洋戦争」と「潜水艦」と「少女」というお題で執筆を依頼され、2年も掛かってようやく執筆できたという小説。
しかし所謂、戦記"if"みたいな陳腐な嘘っぱち小説ではありません。
それに、戦争高揚小説でもないし、戦争ラブロマンスでもないし、もちろん反戦小説でもありません。
戦争とは悲惨なもの。
それは小説の中でもいやと言うほど描写されています。
この福井氏の「亡国のイージス」と同じ主題。
人は何の為に生き、何の為の死ぬのか。
そして国と個人というものの考え方。
国粋主義というものでも右翼的な思想というものでもなくて今の日本人が忘れている純粋に国家という意識。
国を愛するという意識。
家族を愛するという意識。
日本人という意識の再確認的な小説だと捉えました。
戦争を始めるのに本当の大義など有りはしません。
ただ、理由はあるはずです。
私は闇雲な反戦論者ではありません。
もちろん国粋主義でも右翼的思想の持ち主でもありせん。
先の大戦を始めた日本にも理由はあったわけです。
最初から好き好んで戦争を始めたわけでもありません。
根本的にはドイツとは戦争を始めた理由が違うのです。
これは歴史上の事実です。
資料は山のようにあります。
勉強すれば解ることです。
世界の常識から桁外れたこの国の国家意識というものを警告したかったお話しでしょうか。
言いすぎかなぁ。

私は模型を制作するに当たって、ことさら自分が作っているのは戦争の道具なんだと、後ろめたい気持ちになったことはありません。
人や物を破壊する兵器。
だからこそ究極の道具だと思います。
御幣があるかもしれませんが、究極の工業デザイン的な美しさがあると思います。
戦車や戦闘機、戦艦自体が人や物を破壊するのではありません。
忘れてはいけないのはそれを使う”人”こそがそれらを破壊するということです。
世の中から兵器や武器が無くなったとしても、”人”は人や物を破壊することを止めるのでしょうか。
人種や民族や宗教の違いでいがみ合うことが無くなるのでしょうか。
恐らく無くなる事はないでしょう。
日本人はそのあたりの意識がかなり薄いと思います。
というか、理解できない部分なのかもしれません。

模型は純粋に楽しめばいいと思います。
そこにどのような思いを込めるのかは人それぞれ。

あ、なんだか話の本題が横道に(汗)
ただ、私は先の大戦で亡くなられた多くの方々に後ろ指を指したり、唾を吐きかける様な行為をすることはしません。
この国の為に私達の為に亡くなられた方々、そしてそれぞれの国の為に亡くなられた方々に敬意を表します。
我が国では国に殉じた方々は皆、その国籍を問わず英霊になるというのは昔から決まっていたことのひとつです。

映画に関しては、”パウラ”が唄う歌が「椰子の実」ではないということで観る価値は半減ですね。
「椰子の実」はこのお話しの鍵でしょう。
少なくとも私はそう思います。
配役の設定や話の内容が変わるのは仕方ないとしても、あの歌を変えてしまっては根本的な意味が変わるような気がします。
所詮は単なるエンタメ映画ですか。
残念。



小説の中に出てくる「海軍五省」

海軍五省
一、言行に恥ずるなかりしか
一、気力に缺くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか
一、至誠に悖るなかりしか


「五省」とは、5つの反省という意味ですね。
「ごせい」と読みます。
単独で「五省」という言葉はありません。
造語と考えていいのではないでしょうか。
「省」は「かえりみる」で「深く自己を見つめ、何か人間として至らぬ点はないか」と厳粛に考える心のはたらきをいうそうです。
この「五省」は旧海軍で将校生徒の教育を行っていた江田島海軍兵学校において使用されていたもので、いわば「自戒のことば」であったということです。
これが採用されたのは昭和7年で、当時の海軍兵学校長松下元少将の発案によるものです。当時「軍人勅諭五箇條」があるのでその必要はないという反対意見もあったらしいのですが、将校生徒はまだ人格形成の途上にあるから、それにふさわしい反省の言葉を使用するのも極めて有意義であるとの見解に立って採用されたようです。
海軍兵学校では、夜間「自習止め五分前」に一声ラッパが鳴り響くと、生徒は素早く書物を机の中に収めて粛然と姿勢を正します。
そしてその日当番の生徒が、先ず自習室正面に掲げられている東郷元帥読書の「軍人勅諭五箇條」を奉読、続いて「五省」の五項目を次々に問いかけるのです。
生徒は瞑想し、心の中でその問いに答えながらその日一日の自分の行動について自省自戒したそうです。
「五省」の内容は普遍妥当性を持っており、如何なる国、如何なる時代にあっても、人間が生きるうえでの教訓的な意味を持っており、現代人にも通用する立派な反省の言葉であると思います。
(受け売りというか調べたサイトの半分はコピペですが、私もほんとうにそう思います。国籍や時代は関係ない、人として生きる上での日々の自戒の思いだと)
終戦により兵学校は閉校され、陸海軍に関するあらゆるものが歴史の表舞台から消されたましたが、「五省」に関しては例外でした。
敗戦後来日した米国海軍のウィリアム・マック海軍中将が「五省」に感銘を受け、アナポリス海軍兵学校に持ち帰り、翻訳させて現在でも教育に利用しているということです。
また、海上自衛隊幹部候補生学校でも海軍時代の伝統を受け継ぎ、学生たちは兵学校時代と変わらぬスタイルで毎晩自習終了後、五省により自分を顧みて、日々の修養に励んでいるということです。

五(ご) 省(せい)

一、 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか(真心に反する点は、なかったか)

一、 言行(げんこう)に恥(は)ずるなかりしか(言行不一致な点は、なかったか)

一、 気力(きりょく)に缺(か)くるなかりしか(精神力は十分であったか)

一、 努力(どりょく)に憾(うら)みなかりしか(十分に努力をしたか)

一、 不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)

日々、反省であります(笑)
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by aegis_of_aegis | 2005-03-16 13:56 | 読書なお話し
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